プロ野球のヤクルト、楽天などで監督を務め、昨年2月に84歳で亡くなった野村克也さんをしのぶ会が11日、ヤクルトの本拠地・神宮球場(東京都新宿区)であった。ファンやゆかりの人ら約2800人が訪れ、様々な思い出を胸に、最後の別れを告げた。
球場周辺には野村さんが所属した6球団の帽子やユニホーム姿のファンも。同区の小学5年生、大高仁和(にな)さん(11)は西武ファン。「野村さんが色々な選手を育ててくれて、いまの野球がとても面白くなっている。ありがとうございます、と伝えました」
杉並区の自営業上条賢治さん(51)と妻京子さん(54)は「野球の奥深さを教えてもらった」と話す。野村さんが雑誌のコラムで「昔は内野席でスコアを付けて観戦する客がいた」とぼやくのを読んで以来、年間60試合ほど訪れる球場に、スコアブックを欠かさず持参する。今季のプロ野球は野村イズムを継承した高津臣吾監督が制した。「日本シリーズを一番楽しんだのは、野村さんだったのでは」と笑った。
野村さんが指導したシニアリーグのチームと監督として対戦した世田谷区の会社役員菅井実人さん(74)は「球場では野村さんからあいさつにみえた。『君のチームに並ぶのに5年、追い越すのにさらに5年かかる』と言われたのは非常に光栄だった」と振り返る。
同区の自営業川上立雄さん(63)は、野村さんの言葉に勇気づけられてきた。「名言は多いが、核心は『目的を持って行動しなさい』『先には必ず光がある』だと思う。普段の仕事は日の当たらない面もある。どんな状況でも力をくれるバイブルのようだ」と感謝した。
この日、球界関係者らが出席する式典もあった。野村さんの下で臨んだ1992年の日本シリーズで3完投した岡林洋一さん(53)は、「選手として最高の経験をさせてもらった。『一流になれ』『感性を磨け』『メモをとれ』。当時かけてもらった言葉は、現役を引退した後の方がより重みを感じる」と恩師をしのんだ。(山本亮介)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル